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ウィンスロップ (マサチューセッツ州) : ミニ英和和英辞書
ウィンスロップ (マサチューセッツ州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ウィンスロップ (マサチューセッツ州) : ウィキペディア日本語版
ウィンスロップ (マサチューセッツ州)[す, しゅう]

ウィンスロップ()は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州の中央部、サフォーク郡の東部に位置する都市である。2010年国勢調査では人口17,497 人だった。ウィンスロップはボストン大都市圏ではボストン港に入る北の入り口であり、ジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港に近く、大西洋岸の郊外町である。面積1.6平方マイル (4.2 km2) の半島の上にあり、狭い地峡リビア市に繋がれ、イーストボストン地区とは港の入り江に架かる橋でベルアイル湿地保護地に繋がれている。1630年に入植されており、アメリカ合衆国でも古い方の町である。マサチューセッツ州では面積が小さく、人口密度が高い町でもある。サフォーク郡4市の1つである(他にはボストン市、リビア市、チェルシー)ノースショアでは最南端であり、7マイル (11 km) の海岸線では、東に大西洋、西にボストン市のスカイラインを望むことができる。
2005年、ウィンスロップ市は住民投票で、1920年から続いていた代表制タウンミーティングの政治形態から、市政委員会・マネジャー方式に変更することを承認した。新しい憲章が有効となる2006年時点のマサチューセッツ州法で、ウィンスロップは市になった。しかし、市名の中に「町」を残すことを選ぶ州内14市の1つである〔. Secretary of the Commonwealth of Massachusetts. Retrieved on 2013-25-12.〕。
== 歴史 ==
ウィンスロップは1630年に、イングランドから来たピューリタンの開拓者が入植し、潮汐によってボートを引くのが難しくなっていたので、プレンポイント(プリングポイント)と呼ばれた〔Town of Winthrop, MA - About Winthrop . Town.winthrop.ma.us (2007-08-20). Retrieved on 2013-09-18.〕。現在の市名は、マサチューセッツ湾植民地第2代総督であり、イングランド人ピューリタンの指導者だったジョン・ウィンスロップ(1587年-1649年)にちなんで名付けられた。1630年4月8日、ウィンスロップはワイト島を''アーベラ号''で出発し、6月にセイラムに到着し、そこで初代総督であるジョン・エンデコットと会った。ウィンスロップは植民地に滞在した19年間のうち12年間で総督を務めた。植民地の基地をショーマット半島にすると決めたのもウィンスロップであり、そこに設立した町が現在のボストン市になった。
当初はマサチューセッツ族インディアンからウィニセミットと呼ばれた地域の一部だった〔Massachuset . Dickshovel.com. Retrieved on 2013-09-18.〕プレンポイントは1632年にボストンに併合され、放牧地として使われた。1637年、15区画の土地に分けられ、ウィンスロップ総督からボストンの有力者に分譲され、2年以内にその土地に建物を建てねばならないという規定があった。これらの人々の数人はこの土地に住んだかもしれないが、ほとんどは住むことも無かったものの、農園は繁栄した。その初期の家屋の1つであるディーン・ウィンスロップ家屋はウィンスロップ総督の一番下の息子であるディーンの家であり、1703年に死んだ時までそこで暮らしていた。この家は今も残っており、アメリカ合衆国でも最古の連続して使われている家となっている。この家は使用中ながら、特定時期には公開もされている。ウィンスロップ改善歴史協会が管理している〔Winthrop Improvement and Historical Association 〕。
1739年、現在のチェルシー、リビア、ウィンスロップ各市が、政府支配の紛争のためにボストンから分離し、チェルシー町となった。1775年、チェルシー町の住民がアメリカ独立戦争チェルシークリークの戦いで重要な役割を果たした〔http://www.discoverwinthrop.com/history.asp〕。この町のなかで再度地元で政治を抑える欲求が起こり、1846年にチェルシーからリビアとウィンスロップが分離し、ノースチェルシーとなった。それから間もない1852年、ウィンスロップは独自の町として法人化され、町政委員会と公開タウンミーティングという政府形態を採った。1920年、ウィンスロップは代表制タウンミーティングを採用する憲章を申請し認められたことで、州内2番目の町となり、それが2006年まで続いていた。
上記の通りウィンスロップは2005年に自治憲章を採択し、市政委員会・マネジャー方式の政府を採用した〔Town of Winthrop – Town Charter 〕〔Town of Winthrop – Winthrop's form of government 〕。代表制タウンミーティングは廃止された。現在は法律上の市であるが、市の形態の政府を持つ町と呼ばれることを選んでいる〔MassGIS Towns Data Layer 〕〔Massachusetts Municipal Association 〕。新しい町憲章は2006年に有効となり、特別選挙でも通過した。町政委員会とタウンミーティングは廃止され、立法権は選挙で選ばれる市政委員会に委ねられた。行政権はほとんど儀式的なものであり、住民の投票で選ばれる市政委員長にある。指名されるマネジャーが管理部門の長として機能している。2007年7月26日、「ウィンスロップ・サン・トランスクリプト」が、市政委員会を廃止し、代表制タウンミーティングを復活させる動きが始まっていると報じた。これはウィンスロップ市を以前の町に戻すことを意味している。2006年の憲章によってなされた変更を元に戻すためには多くの手続きを必要とし、複雑だと考えられるので、ウィンスロップが将来どの形態の政府を採用することになるのか、現在も模様眺めになっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウィンスロップ (マサチューセッツ州)」の詳細全文を読む




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